戦後70年。
今、日本は積極的平和主義のもと、戦争ができる国へと
向かっているかの勢いで、国のトップが法案を作ろうとしている。
私の父は、中国の戦地で戦っていました。
もとより、衛生兵として教育を受け、銃の扱いの教育は
全く受けていない。引き金を一回も引くことなく、
終戦を迎えたのですが、2年半の外地での戦歴があります。
170人の部隊の7人の生き残りです。
目の前で銃に打たれ死んでいく戦友。
隣で伏せている親友が、今しゃべっているのに、銃に倒れてしまう。
父は、倒れ死んでしまった、戦友の手首を切り離し、飯盒に入れ
遺骨として収集する。これも仕事だったそうです。
何年か前には、「父の戦場での初期対応が良かったので、
今の自分の命があるんだ。」という、回想するお礼の手紙が来たのを覚えています。
玉に倒れるとき、自決するとき戦友は、「お母さん」と一言叫ぶそうです。
「天皇陛下万歳!」と叫び、命が尽きていった戦友はたった一人だけだったと言っていました。
青春盛んな時代、召集令状一枚で「お国のために」散っていく若者たち。
近所で、こんな話を聞きました。
近年、家から出てきた手紙の中に、(戦場からあてた手紙)
隣で寝息を立てている友は、祝言を挙げたところです。
自分は、まだ女性を知らない。何も知らないまま男にもならないまま、
明日は、藻屑と散ってしまうのか!涙が止まらない無念だと。
戦場に行った人戦場に向かう人、戦場に送り出した家族。
誰も、お国のためとは言うものの、幸せにはならなかった。
父の二男は、特攻隊員でした。
明日、命が果てるという覚悟で、我が家に遺髪が送られていました。
ところが、東京の大空襲で飛行機が爆撃され、命拾い。
こんな不幸をつくりだし、負の連鎖を生み出す、戦争。
経済大国であり、平和大国であってほしい。
世界から尊敬される、国民でいられるよう、今おかれている
危うい政治的危機をしっかり、世論で乗り切らなくてはならない。