50年

2021年03月31日

久しぶりの投稿です。

大坂万博から4年後、3月31日の誕生日を迎え、翌日から父の元へ大工修行で弟子入り。
15歳。以来今日まで50年、木と現場と向き合ってきました。

一輪の神代あけぼの


生涯現役でいこうと何度も思ったが、息子たちが後継してくれた恵まれた環境で、
昨年、引退宣言をした。

17歳の時、上棟にレッカー車が入ってきました。とび職が手際よく組み立てていきました。
が、高所をヒョイヒョイとは動けなかった。実に怖かった。

23歳の時、知名度の高い設計事務所の仕事と巡り合い、プラスターボード・グラスウール・
システムキッチンと出会い、ビニールクロスがかっこよく感じた。

25歳の時、釘に代わり木工ねじが出てきて、造作金物も多様に使うようになった。しかし、
木工ねじは、釘に比べれば高価だった。

30歳の時、サイデイングが外部の仕上げにと、広がり始めた。私も使った。しかし、
自社設計では3棟しか使っていない。サイデイングは土にはかえっていかないため、つかわないと決めた。

40歳の時、シックハウス・化学物質過敏症という言葉が社会問題となってきた。プレカット工法という
工業化された住宅が、大きく飛躍していく。

45歳の時、地域材を使おうと運動が始まる。木材自給率は18%台。同時に、家づくりの勉強会を始める。

50歳の時、石場建ての家に挑戦する。国産材・土壁等伝統構法である。
これは、現実の家づくりと正反対の路線になる。

55歳の時、木工機械や電動工具が次々と廃盤・製造中止になっていく。プレカット主流である。
地域から、手加工のできる大工が姿を消していく始まりである。
私は、「くむんだー」木のジャングルジムを考案し、ワークショップを始める。木育の始まりである。

大まかな流れである。

時間と共に、いいこともあれば、環境や家づくりの文化・地域のコミュニテイーを鑑みると、
家づくりから排出される、膨大な土に還らないゴミ。木を見る目も本来の職人さんの目利きはなくなり、
銘木という木材は使われなくなり、畳・建具・表具・左官・瓦そして大工の仕事もなくなり。
地域から、家づくりの職人は姿を消していく。

今、家づくりで起きていることは、仕事を取ってきた人(営業)が偉くて、次に管理(現場なのかお金なのか)する人、
最後に、現場人。これでいいのでしょうか?


滋賀県でも、県産材を使おうと推進されていますが、仕事は何でもいい。大工の手加工や技を継承するためにも、
同じように推進すべきだと思います。若い大工を育てないと!


現在、地域で「あらゆる場面で木をつかう推進協会」で、木育をはじめとする、木づかいの活動をさせてもらっている。
ごく小さな活動ですが、未来の子供たちのため、美しい地域を取り戻すため、
これからも、いつまでも、木と関わっていきたいと思います。













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Posted by 東近江 川村工務店 at 22:37│Comments(0)樹湖里っ子(きこりっこ)
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