第575回 終戦記念日
2015年08月15日
戦後70年。
今、日本は積極的平和主義のもと、戦争ができる国へと
向かっているかの勢いで、国のトップが法案を作ろうとしている。
私の父は、中国の戦地で戦っていました。
もとより、衛生兵として教育を受け、銃の扱いの教育は
全く受けていない。引き金を一回も引くことなく、
終戦を迎えたのですが、2年半の外地での戦歴があります。
170人の部隊の7人の生き残りです。
目の前で銃に打たれ死んでいく戦友。
隣で伏せている親友が、今しゃべっているのに、銃に倒れてしまう。
父は、倒れ死んでしまった、戦友の手首を切り離し、飯盒に入れ
遺骨として収集する。これも仕事だったそうです。
何年か前には、「父の戦場での初期対応が良かったので、
今の自分の命があるんだ。」という、回想するお礼の手紙が来たのを覚えています。
玉に倒れるとき、自決するとき戦友は、「お母さん」と一言叫ぶそうです。
「天皇陛下万歳!」と叫び、命が尽きていった戦友はたった一人だけだったと言っていました。
青春盛んな時代、召集令状一枚で「お国のために」散っていく若者たち。
近所で、こんな話を聞きました。
近年、家から出てきた手紙の中に、(戦場からあてた手紙)
隣で寝息を立てている友は、祝言を挙げたところです。
自分は、まだ女性を知らない。何も知らないまま男にもならないまま、
明日は、藻屑と散ってしまうのか!涙が止まらない無念だと。
戦場に行った人戦場に向かう人、戦場に送り出した家族。
誰も、お国のためとは言うものの、幸せにはならなかった。
父の二男は、特攻隊員でした。
明日、命が果てるという覚悟で、我が家に遺髪が送られていました。
ところが、東京の大空襲で飛行機が爆撃され、命拾い。
こんな不幸をつくりだし、負の連鎖を生み出す、戦争。
経済大国であり、平和大国であってほしい。
世界から尊敬される、国民でいられるよう、今おかれている
危うい政治的危機をしっかり、世論で乗り切らなくてはならない。
今、日本は積極的平和主義のもと、戦争ができる国へと
向かっているかの勢いで、国のトップが法案を作ろうとしている。
私の父は、中国の戦地で戦っていました。
もとより、衛生兵として教育を受け、銃の扱いの教育は
全く受けていない。引き金を一回も引くことなく、
終戦を迎えたのですが、2年半の外地での戦歴があります。
170人の部隊の7人の生き残りです。
目の前で銃に打たれ死んでいく戦友。
隣で伏せている親友が、今しゃべっているのに、銃に倒れてしまう。
父は、倒れ死んでしまった、戦友の手首を切り離し、飯盒に入れ
遺骨として収集する。これも仕事だったそうです。
何年か前には、「父の戦場での初期対応が良かったので、
今の自分の命があるんだ。」という、回想するお礼の手紙が来たのを覚えています。
玉に倒れるとき、自決するとき戦友は、「お母さん」と一言叫ぶそうです。
「天皇陛下万歳!」と叫び、命が尽きていった戦友はたった一人だけだったと言っていました。
青春盛んな時代、召集令状一枚で「お国のために」散っていく若者たち。
近所で、こんな話を聞きました。
近年、家から出てきた手紙の中に、(戦場からあてた手紙)
隣で寝息を立てている友は、祝言を挙げたところです。
自分は、まだ女性を知らない。何も知らないまま男にもならないまま、
明日は、藻屑と散ってしまうのか!涙が止まらない無念だと。
戦場に行った人戦場に向かう人、戦場に送り出した家族。
誰も、お国のためとは言うものの、幸せにはならなかった。
父の二男は、特攻隊員でした。
明日、命が果てるという覚悟で、我が家に遺髪が送られていました。
ところが、東京の大空襲で飛行機が爆撃され、命拾い。
こんな不幸をつくりだし、負の連鎖を生み出す、戦争。
経済大国であり、平和大国であってほしい。
世界から尊敬される、国民でいられるよう、今おかれている
危うい政治的危機をしっかり、世論で乗り切らなくてはならない。
Posted by 東近江 川村工務店 at 22:42│Comments(0)
│樹湖里っ子(きこりっこ)